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Q-BORDER / Case of King*

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Diarylog*001 / 1st winter.(2003.12月末〜2004.1月末)


2003.12.30. / アホっぷり満開。

BOΦWYの時のヒムチのインタビューは、もうお調子にノリまくっててすごい楽しいです。至って本人は真面目なので、そのギャップがとても面白いです。時代観的なモノが、ヒムチをすっごく苦しめてるような感じを受けました。あの時代にヒムチは、さりげなく自由人すぎたような気がする。それを横でニコニコして笑ってみてる(でも腹の中じゃあ、何考えてるかわかったもんじゃねえ!)布袋さんの図なんかも、とても楽しい。
インタビューなんかだと、けっこうヒムチ1人しゃべりまくってるのが多いですね。ヒムチ好きのあたしは嬉しいですが、でももっと他のメンバーとの絡みも見たいよ。ていうか、未だにあれでヒムチが「喋るの苦手なんスよ」ていうのがね、なんとも苦笑い。「苦手かもしんねえけどさ、あんた喋るのはダイスキだろうが!」と言ってやりたくなります。とにかくマシンガントーク。かわゆい。

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2003.12.31. / トリビュートアルバム。

試聴ねえ、したいんだけど全然、近所のCD屋でじは試聴できるとこがない。買うのは別にいらないんだけど、せめてレンタルで聞きたいトコロ。なんていうかね、基本的には今更BOΦWYを祭り上げる意味がよくわからんです。だってさあ、音的なコトとか、アレンジにしてもね、今の技術とか今風のアレンジとかさあ、良いに決まってると思うのね。はっきりいって、そのトリビュートで「なかなかいいじゃん」って思わせられなかったアーティストってやっぱそこまでだと思うの。
今のあたしが「やっぱりBOΦWYいいよね」って言うのとさ、トリビュートアルバムとか、今までもリミックスとかあったけど、そういうの出して世間的に「やっぱりBOΦWYいいよね」て言うのはなんか違うと思うのさ。なんとなく。今の現在から見たら、やっぱりBOΦWYって古いと思うし、古いチャチさって満開だと思うのね。
音楽的なコトとかあたしは詳しくないし全然わかんないけど、ダンゼン、氷室さんにしても布袋さんにしても、ソロになって今の方が音にしたってアレンジとか、歌とか、何もかもが今のが上だと思うの。単純なクオリティにしてもそうだろうし。それをね、「やっぱりBOΦWYいいよね」って、世間が繰り返す意味がよくわからん。
BOΦWYが忘れられてすたれていかないようになんて、そんなの自然じゃないじゃん。充分さ、すたれていくと思うよ? だけど、その中で間違いなく残っていってるものってあると思うの。そりゃあ、今までビデオしかなかったのが「DVD」って形で保存状態よく保ててとか、そういうのは単純に嬉しいよ。それはすごい良いことだと思う。
だけど、どこまでもBOΦWYを伝説だとか祭り上げなくちゃ気が済まない人たちがいてさあ。今更だよね。まるで、死んじゃった人みたいだよ。氷室さんも布袋さんも第一線に居るのに。正直、それで「BOΦWY格好良いよね?!」とか、今更言われてもあたしは引くし、それは多分、あたしが思ってる格好良さとは別物だと思うの。世間の浮かれようにさ、ひいちゃう。
トリビュート、ネットの試聴でちょっとだけ聞いた。悪くなんかなかった。 メンツとかビミョーだけど。でも、だから何? というかさ、「これ歌ってなんかいいことあんの?」て普通に思った。それはあたしがBOΦWYファンでこよなく氷室さんとBOΦWYの布袋さんを愛するあたしという視点をナシにしてもね、思うコトなの。
あのわけわからんビミョーな歌詞をさ、氷室さんじゃない人が歌ってもそれはやっぱ別物なわけで。そういうBOΦWYが内包していた全てのコトを抜きにして、音楽だけを取り上げて、別な人がいくら上手く歌い上げたってさ、それはやっぱ意味があるとは思えないの。だって、やっぱりそれは古いもの。歌詞にしたって、音楽的なコトにしたってさ。決して、今聞いて新しいものかっていわれたらそれは違うでしょ? だから、あたしにはトリビュートを出したい意味がよくわかんない。

モーニング娘。のさ、「カバーモーニング娘。」てCDがあって、外人さんがね、モー娘。の歌を別アレンジとかで歌ってんの。なかなか悪くないアルバムで、けっこうテレビとかでもちょこちょこ使われてたりする。外人さんだからさ、やっぱ歌も上手いわけよ。だけどなんていうのかな、モー娘。なんてあのチープさがイイわけじゃない? 歌なんて、梨華ちゃんのひどさとか、周知なわけよ。まともに歌える人はどんどん卒業してくかパート減ってんだから。
でも、あの何とも言えないフワフワと地に足ついてない感じっていうか、ムダに根拠のない幸せっていうか、そういうのが良いわけじゃない? 決して、単純に楽曲が良いかって言ったら、それは重要な二の次のファクターっていうコトだと思う。もちろん、曲が悪かったら、それもそこまでなんだけど。それと同じような感じがするのね。
もちろん、あたしはBOΦWYのどの曲も大好きだし、何もかもわりとどっちかと言うと盲目的に好きだよ。だけどそれは音楽っていう一つの側面だけじゃないのも確かでさ、ひっくるめてBOΦWYが好きなのね。トリビュートで再確認するくらいだったらさあ、もっと今の布袋さんとか氷室さんを応援すべきじゃない? ようわからんけどさ。

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2004.1.3. / もっと苦笑え!!

前に春男くん絵巻であった、ヒムチが歌詞を間違うと布袋さんを見る、というのがすごく好きなんですが・・・。ヒムチめ。あたしは、ヒムチが歌詞を間違うとその後のパフォーマンスがすごいやけくそまみれのハイテンションになるのがとっても好きです。あとあの苦笑いも。「あはは」って!ヒムチの苦笑い大好き!!もっと苦笑え!!

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2003.1.5. / 「Girls Be Glamorous」が好き。

でもどうも、このアルバムでこの曲以外はあんまり好きなタイプではないかなあ・・・。シングル曲はやっぱりなかなか良いっちゅー事かしら? こういう曲はやっぱりヒムリンの本領発揮という感じがして好きだわん。他のはちょっと、あたし的には中途半端ヒムリンという気がして、なんで「イデア」の後のヒムリンがこれなんだろう、なんて言ってしまっていいのやら、袋叩き覚悟なんだかわからん事言ってしまいそうなんですけど・・・。まあ、「メロウ」でも同じ事言ってしまいそうだけどさ。
どう考えても、「ミッシングピース」と「イデア」ちゅーハードルの高さとその後の二枚のクオリティは微妙じゃないのさ、と。単に今更聴き直し(当時はスルー)してたからだけなのかなあ? でも「Girls Be Glamorous」は好きさ〜。
なんか、このアルバムは初回限定得点8cmシングルで3曲が付いているせいで、本チャンのアルバムは7曲しかない。基本的にヒムチアルバムは10曲が標準だから、アルバム単体で言えば少ない曲数なのね。なのに、この感じ、せつないわん。いつから行ってたのかしらないけど、アメリカ行って正解。「FOLLOW THE WIND」はもっと良いもの。いろんな意味で。

どうでも良いけど「Julia」って歌とかどうなの(笑)? いや、「ONE」とかもだけどさ、歌詞とか。もう、なんかムズ痒い感じするんですけど(笑)。河村隆一思い出したよ、ジュリアー。頼むから、女性の名前をタイトルにするのは「アリスン」でもうやめにして欲しかった・・・。なんとなく、ダサげだから。ビジュアルっぽいから・・・。そのくせ、相変わらずヒムチは「いや〜、ストレートなラブソングなんかじゃないんですよ(笑)」とか「でも、そういう風に取ってもいいですよネ」とか、得意気に言ってみたりするんだろうか。当時の記事読んでないから全然わからんけど。でも歌詞は森さんだ。森さんめ。ユキノジョーめー!! ああ、ヒムチめ・・・。
そう言えば昔から友達には「あんたの好きになり方は見ていて相手が嫌いになる」と言われた(笑)。身に覚えがありすぎるけど、そう言われてもどうしようもない(笑)。でもそのせいで、「ヒムロック」はあたしの周りではエラく色モノ扱いです、ごめんねヒムチ。あたしのせいらしいよ(笑)。
だって、元々どうやら普通に好きだったぽい某氏ですら、あたしが「氷室さん♪」となっているとヒムチをものすごく否定してきます(笑)。めげたりしませんが。(はっ、それが悪いのか??)

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2004.1.8. / ほんとどうでも良いこと。

改めて思うけど、ソロの方をグガガガガと本気モードでききだすと、 BOΦWYとかはやっぱ別物だったんだな〜って思うなあ。 しみじみと。 しかもヒムチに顕著なのは、 一番新しいのが一番良いっていうのもあるね。 まあ、いくばくかの例外はあるんだけどさ。 やっぱヒムチの曲って普通に好きだと思う。

ところで、歌詞カードで作曲は「氷室京介」になってんのに 編曲は「Kyosuke Himuro」になってたんだけど、 なんか使い分けてるんですか、ヒムチさん?!とか思った。 どっちゃでもいいやん(笑)。 ていうか「作曲・編曲」とひとくくりじゃあかんかったんかいな(笑)? まあ、ほんとどうでも良いことですが。

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2004.1.11. / ヒムチの目はタレ目だ!

最近、某春男くん家のぇBBSが楽しくて、下手の横好きヨロシク、チョロQマウスでお絵かきなんぞをして遊ばせてもらっています。それで、まあ自分の絵の才能の無さをシミジミと噛みしめたり、春男くんのステキ絵ヒムチを穴の空く程に眺めてみて「ヒムチ格好良いわ・・・」とぼんやりしてみたりしているわけなんですが(笑)。
それで、あたしは基本的に絵の何が苦手って、全体のバランスを上手く取って描けないんですよね。例えば、右目を描いてみたはいいけど、その右目に対して左目がどの位置でどの大きさで描けばいいのかがわからない。ていうか、元々、絵に対して創造力がないので、ありものの写真をじーっと見ながら、自分の好きな目をとりあえず下書きも何もなしにひょろ〜といきあたりばったりに描いたりする描き方もどうかと思うんですけど(いかにも素人くさい描き方)、そんなもんだから、全体のバランスとか全然取れない。まだ、片目の続きで鼻の影くらいならまだしも、そこに手など添えた日には、もうあり得ないってかんじで(笑)。肩はギリギリの線でナシですね(笑)。そんな感じ。だから、いくつお絵かきさせてもらっても、目ばっかし描いてるの(笑)。バカの1つ覚えもいいとこだ。

あたしはどうやら、ヒムチの顔で目が好きらしい。ヒムチ写真は、けっこう斜めからのアングルが多くて、わりとビミョーな角度から撮ったのが多い。横顔もけっこう多いしね。んで、目なんだけど、ヒムチの目って実はタレ目だよね(笑)?
あたしね、何度描いても自分のヒムチ目がタレるのが不思議で。マウスで吊ろうと思うとどうにも角度的に難しくて描けないっていうのもあるんだけど、ヒムチの写真撮る時の表情が、けっこうニラミ顔多いから、目も吊ってると思ったりするんだけど、目の玉の黒いトコロとかたいてい目の瞼側にあるから目もキツイ印象があるんだけど、実際はちょっとだけ目尻たれてる(笑)。かいらしい目してはります。
眉毛がキリリとしてるし、イイ太さにたっぷりあるので意思の強そうな目元になってますよね〜。そして、鼻は上の方は筋っぽいのに下の方がぷっくりしてる。唇の形もちょっと独特だなあ、と。厚いのか薄いのかようわからん。ぷっくり系ではあるのは確かなんだけど、決して厚いってわけじゃないんだよね〜。
ヒムチ写真って、あたしは正直、写真によって全然印象が違うと思うし、格好良さという点では当たりはずれも大きいんだけど、ヒムチさん独特の、「当たりはずれも多く、むしろ外れは多いくせに、当たった時の当たり加減が半端じゃない」んですよね〜。「このヒムチ好き!」っていう写真は、ほんと飽きないぞー(笑)。
でも、ライブの写真はかなり良い顔が多いように思います。格好つけてない分、自然な顔が多いし、どうしようもない笑顔も多いです(自分内ツボ)。そういうワケで、今夜は地味にヒムチの顔について考えてみました。とてつもなく、どうでも良い事だなあ、なんて考えたり言ったりしてはいけませんよ。

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2004.1.18. / 春男くん妄想ヒムチラブな毎日。

あたしは最近、そういう幸せな毎日を送ってます。ヒムチとホテさん妄想・・・ステキだ。過ぎ去った過去をあれこれと詮索するのは、意外と楽しいもんです。自分には関係ない事が明白だから。掘り起こしてみて、事実と妄想を絡めながら、ポイントはいかにギリギリでリアリティを無くすかというトコロです。微妙にないのが素晴らしいと思うです。現実のリアリティを求めれば求めるほど、リアリティは欠如し、そしてすんばらしい妄想が出来上がるのが過去の詮索の良い点だと思います。かくいうわたしも妄想は大好きです。ウフ。だって、妄想できなくなったら物書きなど目指してらんないですから(笑)。
いかにリアリティがあってないモノを書くか、ですよやっぱり小説は。ほんとうに現実に存在するものを人はノンフィクションと呼びます。それはまた別ジャンルです。あたしの目指すトコロはフィクションですから。ていうか、この世の中にフィクションじゃないものってどれだけあるんだっつう事ですよ。みんな、妄想とフィクションの産物じゃねえですか、と思うです。
とくに芸術とかアートという分野なんてえのはね。高尚な言い方で芸術などと言っているけど、芸術なんて元々1人遊びの産物でしょう、と。えらそぶってみたり。いや、単に「悪魔の辞典」の影響か?! いやいや、頭痛いんだよう今・・・。そうか、それでだな・・・・。

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2004.1.19. / 散漫な気持ちの日。

なんていうかな、ホテさんはアレだよね、自分と作品の間の距離が遠いよね。そいで、ヒムチは自分と作品がもう背中合わせだよね。と、朝、学校行きながら考えてたあたしであった。
ヒムチは、すぐ自分の内側をさらけだしちゃうトコロがあって、それは例えば他人に気づいて欲しいとか、同情して欲しいとか、そういうのじゃなくて、単に隠してないだけなんだと思うのね。だけど、ホテさんは、絶対にソコは他人には見せたくない部分だと思うのよ。だけど、例えばヒムチはソコの部分を人にあれこれ言われたり、ましてや不用意に触れられたりするのは絶対にイヤなわけだと思うの。
だけどホテさんは、徹底的に隠す反面、実はそこに気づいて触れて欲しいような、そういう感じじゃないのかなあ? と思ってみたり。そんなせいかもしれないけれど、ホテさんの音楽にはエンターテイメントを感じるけれど、ヒムチの音楽には生き様を感じてしまうんだよなあ、と。生き様、だなんて大げさだけどさ、一曲一曲への魂のこめ方がさ、やっぱ尋常じゃなくない?て思うわけですよ。
まあ、とりあえず、続きを思いついたら適当に書くです。なんか、今日は散漫な気持ちの日だなあ・・・。

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2004.1.21. / ドットコム。

ヒムロドットコムと、ホテイドットコムを見比べると、なんだかこう、けっこう楽しかったりする。どこを見るってアナタ、メッセージのページでしょ、やはり。違いがね、すごいもう、腰砕けって感じです。個人的に。
ヒムチさんはアレですよ、たまーにね、思い出したかのように短いメッセージをね、よこしてきますね。まるで、「ヒムチさん、そろそろメッセージお願いします」みたいなノリですよ。「そう言えば、そろそろ○○(クリスマスとか、ツアー最後とか)だから書こうかな〜」みたいな、まるでそんなノリ。またメッセージも短いんだ(笑)。いや、ヒムチらしくて、けっこう悪くないメッセージですよ。でもあれですね、ノリと言えば「メッセージカード」みたいなノリ。
んで、ホテさん。ものすごいやる気です。一回分などもう普通に「日記」のノリだし、確かに年間を通せば回数は多くはないかもしれないけれど、決して少なくもないと思うぞ? で、一回分が長いね。 伝えたいこと一杯だねホテさん(笑)。書いてある事もね、こうすんごいポジティブでアグレッシブですね。あのホテさんからのメッセージを見ると、ヒムチからのメッセージのなんて素っ気ない事(笑)! いや、でもそんなヒムチの方が私は愛・・・いやいや。なんていうか、こう、あの二人のオフィシャルページを見ていると、二人が違う意味で今を精一杯生きてるなあと思えてですね。(ヒムチのはまるで、「便りがないのは良い便り」みたいな感じ)
巷でウワサの(もう下火でしょうが)「BOΦWY再結成?」とかあるじゃないですか。ああいうの、ほんと「ない」んだろうなあ、とか思ってしまうのであります。まあ、あったらあったで、私個人としては祭り状態ですが、客観部分では不満タラタラでしょうけども。ただ、あれだけ自分ギリギリで、力を振り切らんばかりに突っ走ってる二人を見るとですねえ、二人にはとても「BOΦWYがね、あのですね、」とか聞いたり言ったりできないよ、きっと(笑)。「うっせえ!それどころじゃねえ!」て怒られそうです。なんとなく。いや、そんな暴威時代みたいなキレ方しないでしょうけど。 特にヒムチ(笑)。

しかしながら、今度のBOΦWYのDVDはすごい楽しみだなあ。 今からすごい楽しみです。わくわく。ランナウェイトレイン、DVDには入ってんでしょうか。アコギな商売ばっかりする東芝EMIなので、どうもこう、イマイチ信用がないです。

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2004.1.22. / 遠足で迷子。

あのヒネた人相悪い濃ゆい顔した人がですよ、遠足行ってた(そら日本に住んでりゃ当たり前)事もお笑いなのですが、いつの遠足だか何だか知らないけどさ、しこたまリュックなど背負って、行方不明になるだなんて! ああ、なんてバカなの! 大バカ者さんなのヒムチ・・・。うう、ラブですラブ。

いやあ、それはそれで別にアレなんですが。けっこう、ネットのね、BOΦWY時代のインタビューなんか見てるとやっぱりなんていうか、すごいイイね。BOΦWYいいよ。ラブだよ。何かね、すっごい一貫してるのですよ、四人とも同じ事言ってるの。
ヒムチは「オレはボーカリストだから」っていう言葉と視点なのね、常に。同じようにホテさんは「オレはギタリストだから」って言うし、松井さんも「オレはベースマンだからね」って言う。まこっちゃんは「オレはドラムだからさ」って言うんだよ。常にね、みんなその姿勢が同じで、お互いでお互いの領域には決して立ち入らないんだ。
もちろん、全体のBOΦWYってバンドを良くする為の客観的意向は伝え合うんだけど、決して内的領域には立ち入らないよね。例えば、「もっと練習しろよ」みたいなのはお互い誰も言わなかったみたいな事をホテさんがインタビューで言ってた。「もっと上手いやつは他にもいっぱいいた」っていうのもね、けっこう多かった。だから、スタンスであったり、精神性であったり、確固とした自分であったり(アイデンティティつーの?)、そういうのが大事で、それって簡単に一言で言えば「人間性」だったりするよね。それがやっぱり大事というか、それを持たないと多分、同じフィールドには立てない。自分にプライドがないときっと、いつまでたっても別次元で生きて死んでいく。そういうのをすごい感じたなあ。

自分は文章を書いていたりして、そこそこマジメに取り組んだり、真剣に考えて創ったりしてるわけです。もう趣味レベルって言われても文句は言えないようなもんですけれども。そういう時のね、精神性の持って行き方とかは、ヒムチの言葉に影響される事が多くて、今までは「あー、あたしってヒムチっ子ねえ」と思ってた。それはね、今でも多分変わらない。スタンスがね、多分刷り込まれてるんだ。だから、必要以上の遠回り的選択をつい選んでしまったり・・・。不器用な手順を選んじゃったりね・・・。
んで、昔のBOΦWY時代のインタビューとか読むじゃないですか。そしたら、もう、何て言うか、自分はヒムチっ子だという自称ありつつ、なんか自分の方法論てホテさんのに近いような気がしてなんか複雑です(笑)。いや、似てるとか、そんなんじゃないんですよ。ヒムチっ子なのは、もう自覚があるから。言葉の選択とか、染みついちゃってるもんあるんだもの、実際に。それは消そうとした時期もあったから、他人にはわからないものもあるだろうし、まあ、自分にしかわからないトコロでなんだけど。
あ、ヒムチっ子ていうのは、ヒムチラブとか、そういうのじゃなくてね。あたしきっと、すごくヒムチの影響強いので、そういうスタンスとか気持ちのつらぬき方とか選んでしまう部分がなきにしもあらずなんですけど、自分がそれを自分というフィルター通して表現すると、何故かどうもホテさんの排出方法(わたしがホテさんを捉えた時の)に近い気がしてさー。何がどうとかじゃないのよ! もしね、例えばあたしがホテさんやヒムチと同じ立場だったとするでしょ? そいで、自分がその時にどういう行動に出るかって言われたら、 間違いなくヒムチじゃなくてホテさんと同じような行動すると思うのよ。
それはもう、例えばオフィシャルページの日記で言えば、気が向けばガシガシガツガツ書いて、向かなければ多分、全く更新しないですよ。でも、続けるですよ。時折突風のようにふく気まぐれな勢いに任せて・・・。ヒムチみたく、あんな遠くから「久しぶり」っていつも言うような感じじゃないです、多分。そういうね、具体的行動みたいな部分で、すごいホテさんの行動とか、言ってる事とかの方が自分に置き換えた時、すごい自分もすんなり納得できるんだ。
ヒムチのはむしろ「自分はそうしないけど!ヒムチなら絶対そうしそう!」とか、そういうの多いなあ、と思う。コレほんと、似てる似てないとかの、そういう話じゃなくてね、根元的な感じのトコロで。んで、自分がそれでどっちにひかれるんだって言ったら、ホテさんのはあたしにはちょっぴり退屈なのね。そりゃヒムチが好きだからだろう、とか、そういうんじゃなくてですね。事の核心までが長くて(笑)。
ヒムチなんて、もう言いたい放題じゃないですか。そういうのが、やっぱ自分と違うからヒムチみたいなのがいいなあ、と思うのかもしれないですけど。

現実逃避の一種

なんとなく。現実逃避の一種だと思っていただければ。ヒムチインタビューっぽく、自分語り。だから人称も「僕」で(笑)。テケトーにスルーしてくらさい。

* * *

やっぱさ、書くって事に関してはプライドは、あるよね。元々そんな器用な方じゃないからアレなんだけど、ほら、もうそれでもぼちぼち7,8年は経つわけじゃない。気合い入れて「書くぞ」とか思い始めて。
やっぱり、その間は他の「文学ってナニ?」みたいな他のヤツと比べるとさ、言葉にしろ文章にしろ、自分なりのアンテナをね、こうはってきたつもりだから。そういう意味では、他とは違うっていう自負はある程度あるよね。あってしかるべきというか。それがないとやっていけないトコもあったりするしね。
書く以外の事は、興味はあるよね。例えば絵とか写真とか、音楽とか、その他いろいろ。面白いよね。書く事にしてもさ、小説を、僕は書いてるわけだけど、他にも詩とか詞とか、エッセイとかライター的なもんとか、いろいろあるわけですよ。でも、自分は究極のトコロ小説だと思ってます。そこが一番、居心地良いんでしょうね。意味なんてない。なんでかって聞かれても困りますけど(笑)。
詩が最高だって言うヤツが居たら、それはそれで「はい、そうですか」って感じなんだけど、それ否定するつもりはない。そいつにとってはそれが真実なんだろうし。でも自分はどうかって聞かれたら「小説ですね」って言っちゃいますね。

絵は、最近「お絵かきBBS」っていうやつで、好意でたまに遊ばせてもらってる。すごい楽しい(笑)。自分が小説書くとかいう事と全然違うフィールドでね、集中するじゃないですか。全然上手くないし、むしろ下手っぴなんだけど、描いてる時って一時間でも例え5分でも、ガガッと集中できる。それが、けっこう良いストレス解消っていうか、なんて言うんだろう、気分転換みたいな感じになってます。
うん、でも、それはやっぱり、お遊びのレベルだから。上手い人とか、本気でやろうとしてる人って、とりあえず全然違う。なんだありゃ、って動画とか見てると思うもん(笑)。僕なんか、例え下描きしてもさ、当たりの銭っていうの? あの、主線あるじゃないですか、アレが全然みつけらんない。マウスで描いてるっていうのもあるけど、むしろ手で描いたりなんかしたら、もっと見つけられないと思う。でも、上手い人って、下描きがあろうとなかろうとっていうか、もう下描きの時点である程度の主銭が出来てるんだよね。アレ、ほんとすごいね。
小説で言えば、プロットの段階ですでにほとんど出来てるみたいなもんじゃん。それってすげー、羨ましい(笑)。小説って、言葉で繋いでいくじゃん、自分の中で言葉を重ねていく。絵は線をさ、つなげてくんだと思うんだよ。そう言っちゃうと、どっちにしても大した事ないって思う人とか絶対居ると思うんだけど、とんでもないよね。どっちも、すげえ難しい。センスとかでホイホイって書けたり、描けたりする人って必ず居るけどさ、自分は少なくともそういうタイプじゃないし、もっと言葉を組み替えたり、いろんな重ね方を楽しんだり、迷ったり、そういうのが今は、楽しいね。ああ、そう、絵の話してたんだっけ(笑)。

次の作品をね、今は練ってる最中です。けっこう昔から、いつか絶対に書こうって思ってたやつの中の1つで、そろそろ機も熟してきたかなーって思ってさ。自分のコンプレックスであったり、アイデンティティであったりを、最初はもっと入れ込んだものにしようと思ってたんだよね、やっぱ書くと自然に自分と向き合う作業になっちゃうとこあるから、究極は。ずっとそういう作品にしようって思ってたんだけど、最近はちょっと倫理観的なもんとかにもインスパイアされてて、それと、けっこう昔ハマッてたモノに今またハマッちゃってるというのもあって、そっちの要素をね、むしろ入れて行きたいって今は思ってる。だから、けっこう内的なモノを創ろうって長く思ってたんだけど、今はむしろエンターテイメントの要素で仕上げたいっていう思いの方が強い。
なんで書くんだ、とか、自分が書いてる事の意味とか、そういうのは考えたらキリがないし、答えも出ないんだよね。わかってても入り込んじゃうと、もうドツボ。だけどお絵かきさせてもらったり、なんか別の事考えたり、違うモンに触れたりして、ふいに思っちゃったりしたんだよね。どんなに誰が「文学」を高尚なモノにしようと、敷居高くされようと、やっぱ小説もエンターテイメントじゃんって。誰かに読まれてナンボなわけですよ。自分で書いて、自己満足でオールオッケーていう、そこまでで良いのか、って言ったら、やっぱ人に読まれたくて書いてるわけじゃないですか。自己満足でいいなら、書く必要ないですもん、心の中に温めて反芻してりゃいいじゃん、って。
じゃあ、人に読んでもらいたいっていうなら、なんていうか、もっと自分の中でショウ的に見せる部分みたいなのを、打ち出して行きたいですね。今までは先に、自分で物語を閉じちゃうとこって多少あったんですよ、言われる前に自分で言っとけ、みたいな。あれこれ言われるの嫌いだし、出したもんにどうこう言うのも嫌いだし。だからいっそ、もうね、先に言っとけ、みたいな。それを後悔はしてない。それがその時は自分の精一杯だったし、そこから生まれる別なもんもあるわけだし。ただ、次の作品では、できるだけそういう部分、先に自分で世界閉じちゃうような、イヤな言い方すれば言い訳じみた事は、できるだけ排除したいなって思ってマス、はい。

* * *

ヒムチっぽい喋りで自分語り。ヒムチしゃべり、けっこう好きなのだ(笑)。言ってる事は・・・、8割方は本当に思っているけど、1割は作ってて、1割はヒムチ愛という事で(笑)。なんやようわからんね。

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