CD Review / BOΦWY / INSTANT LOVE
『INSTANT LOVE』
BOΦWYの中では、ミョーにさわやかなアルバムという印象がある(笑)。すごく「過渡期」的なモノを感じさせられるアルバムだなあ、と。
これ以降の『BOΦWY』からは、もっとカッチリしたイメージが創り上げられてて、CDに録音されてる音の作り方にしても、もっとハッキリしてると思う。だけど『MORAL』にあるような混沌さはずっとなくなってて、単純に歌詞の内容がラブソングになったとか、そういう事だけでない変化を感じます。
『FUNNY BOY』での有線一位とか、そういう裏付けめいたモノからの自信とか(?)音楽の楽しさとか(?)、ふがふが、と来ている予感を感じるので、『MORAL』の時よりも精神的に安定している印象があります。
あたしの中でBOΦWYというバンドはとても色彩が豊かで、例えば氷室さんの歌詞や布袋さん、松井さんの書く歌詞の世界にも、それぞれに特徴的な色があるように思っているのですが、それはアルバム一枚毎にも言える事なんですよね。
『MORAL』は、とにかく原色混ぜたら濃い紫とかそういう混沌とした色で、『BOΦWY』は黒、『JUST A HERO』は澄んだ薄い青に透明のいろんな濃さの青を重ねた感じ。まあ、アルバムジャケットの色のまんま、とか言われたら言い返せないけど、そういうイメージってやっぱりあって(もちろん、一曲一曲にも違う色がある)。
じゃあこの『INSTANT LOVE』は何色? とか思うと、これまた「ジャケ色じゃないのか」と言われちゃあお仕舞いなんですが、「白地に赤で文字を載せた」感じです。
ほんと、自分でもイヤになるくらいそのままですね。あのですね、私の中のイメージでは、『MORAL』ではとても濃いいろんな色が混ざり合ってたと思うんですよ。ゴチャゴチャと、そりゃあもう、行き当たりばったり的に。青も赤も紫も黄色も、とりあえず原色をベタベタと塗りたくったみたいな。不思議と、白と黒はなかったように思えますけど(笑)。だからある意味ではけっこう趣味が悪い部分もあるし、伝える、伝わる、という意味では、決して解りやすいモノにはなってない。勘違いされる事だって仕方のない事だと言えるかもしれない。だけどね、この『INSTANT LOVE』で、一端そのBOΦWYというキャンパスを白地で再生したような、そういうイメージがあるんです、このアルバムには。それで、とりあえず真っ白なキャンパスに、「BOΦWY」て赤い字で書き殴ってみた、みたいな。そういうイメージ。
そこでやっと「こうやって見せたら格好良くない?」みたいな、そういうイメージが伝わってくるような、そんな気がしました。
正直、どのアルバムも甲乙つけがたくほとんどの曲が好きなんで、いちいち「このアルバム好きです」て書くと、毎回書かなくちゃならないんですが、このアルバムも大好き。
『INSTANT LOVE』
「INSTANT LOVE」という言葉は布袋さんが考えたものらしい。このアルバムは、布袋さんの曲が多いですね。そのせいか、仕上がりもいい感じにポップな感じがある。で、その中でこうダークぽい曲、となったら、やっぱりというかそれは氷室さんが作曲なワケで(笑)。
さっき上で書いた色の話でしたら、キャンパスを白くしたのは布袋さんで、それにBOΦWYって書き殴ったのは氷室さんかな、と。あたしの妄想内で(笑)。
この歌の歌詞は、『GIVE IT TO ME』と似てるような気がします。「一人きりじゃCRYING NIGHT」あたりで、一人じゃいられない、寂しがり屋の氷室さんの一面がかいま見れます。『GIVE IT TO ME』でもそうだけど、軽い愛とか、体だけの関係とか、「NO MELLITE LOVE」とか、そういうのに対してすごく居心地の悪さを感じていて、なのに、それすらないとやりきれない気持ちが常にあって。そういうもどかしさとか、落ち着けなさ、気持ちのやり場の不安定さが強い歌ですよねえ。
パブリックイメージとしてのヒムロキョウスケって、すごく強い人というのがあります。ヤンキーちっくというか、ニンマリ笑いながら強気で拳上げて、いつでも誰だって殴り倒してやるぜ、的な。そういう側面も格好良いなあ、好きだなあと思います。だけど多分あたしは、そういう風に強気な反面で、「せめてひととき なぐさめてみて」とか、すごいセンチメンタルな事言っちゃって、だけどそんな自分がちょっと恥ずかしかったり、理想とは違ったりしてもどかしそうに、「胸にしみて泣くような ダサイ奴じゃないでしょ」とか、少し自嘲気味に笑ってごまかそうとする、そういうトコロがどうも好きなんだなあ、と。
勝手に妄想にひたってるわけです、ハイ。
『MY HONEY』
とりあえず、「自慢じゃないけど早いの俺」てどういう事?
というのはお約束で言っときましょう、っと。
なんか可愛い歌ですよねえ! この曲って、あのね、ちょと少女ちっくでないですか?? 男の子の「こうでありたい」イメージよりも、女の子の「男の子にこうあって欲しい」イメージに近い気がする。そう、氷室さんてそういうトコがけっこうあるように思えます。
女の子が思い描く理想の「男の子像」に近い事を、言ったりやったりしてる気がするなあ。ビジュアル的な事も含め(笑)。そういうのって、もしかしてお姉ちゃんのいる弟だからかな、なんていう勘ぐりすらしてしまう程です。なんとなく、男兄弟のみの男くさい思考とは違うと思う気がするのだけど、どうだろう?
「嘘っぽいけど 本気なのさ
不安そうな 上目づかいやめておくれよ かわいすぎるぜ」
て、そんな歌詞を恥ずかしげもなく歌うアンタの方が可愛いよ、と。
「目をとじてりゃ こわかねえさ まかしといて すぐにすむさ」
包容力のある頼れる男って感じ?
目をつぶって後はお任せなんて、女冥利に尽きますね。
「ガキみたいにはしゃいじゃって照れくさいぜ
もし うまくいくなら 何だってできるぜ」
ガキみたいにはしゃぐのは「HONEY」? それとも「俺」?
何が驚きて、実質の歌詞が上の分しかないって事だよね(笑)。でもこの歌好きだなあ。だって、あたし女の子だもん♪
『OH! MY JULLY Part2』
暗い曲だなあ、と(笑)。BOΦWY聞き始めた最初の頃は、もうスルースルー的な曲でした。正直。でもいつの間にか聞き込んでいくと、この曲の氷室さんの声がすごい良いんです!!
「二度や三度じゃないじゃねえの!」
ていう部分で叫ぶ氷室さんの声がですね、どうしようもなく好きです。この部分が聞きたくて、一曲聞いちゃったなんて事もしばしば(笑)。
このアルバム全部を通しての事なんですけど、何がスゴイて思うかというと、このアルバムてまだ二枚目で、一枚目はあんな風なワケで。なのに、氷室さんの声のクオリティ(ていうの?)が、すでに出来上がってるって事だと思います。もちろん、現在(2003)なんてもっと良くなってたり、これからのBOΦWY、ソロという変遷を経て、どんどん声に潤いとか渋みとか、ほんと良くなってくるのは言うまでもなくて。だけど、このアルバムの時点で、すでに「ヒムロヴォイス」は出来上がってるんですよねえ。核心的な声はこの頃から今に至るまでホント変わってないと思うんですよ。それって地味にすごい気がする。
『FUNNY BOY』
この曲が有線第一位ですよね。確かに良い曲ですよねえ。氷室さんの初期の頃の曲じゃあ、かなり上位にくる曲のような。まあ、それは置いておいて。
この曲も古いデモとかで聞いたら微妙に歌詞が違ってたりして、なんとなく初期型ぽいのは全然「恋愛」の曲ではないんですよね。もっと生活に疲れた男の歌ぽかったんで、ただくたびれて疲れて、あくせく働く事を強いられるような、そんな日常の中の「生きてるだけじゃNO!」な歌。そして、そんな生活の中で「軽い女」とぬくもりだけを求めて、自分でも「さみしいくらい」に「白けちまう」ような生き方してる、そういう「FUNNY BOY」の歌。
で、歌詞カード見たらば、作詞のトコロが「氷室、松井、高橋」になってたワケで。ああ、3人で考えたのかあ、と。内容自体は変わってないんですけど、もっと伝えようとする内容が統合されているというか、一歩引いて視点を据えた感が伺えます。だからかなあ、と思うんですが、氷室さんの歌詞のけっこうクセだと思うんですけど(特にBOΦWYの時)、気持ちとして「女々し」かったり「弱い」部分を歌う時て、何故か歌詞の視点が女になるんですよね。『INSTANT LOVE』にしてもそうだし、このアルバム意外でも『CHU-RU-LU』とか『BLUE VACATION』とか。完全に女視点で書かれてるのかと言えば断定はできないけど、例えば歌詞の中で使う言葉使いとかが、俄然前向きで強気な時は「〜だゼ」とか「〜サ」なんですよ。でも、こういう曲になると「イヤネ」とか「〜するの」とか、解りやすいトコで「乾いてるのに入れないで」(『BLUE VACATION』)なんて、ほんと、男視点だとしたらドコにナニを入れるんだ、って(笑)。
そういう観点から見ればこの『FUNNY BOY』も女視点的なモノはあって、要素は女視点なんだけど、言ってる事は完全に男ですよね。そして「男女の歌=男と女のラブソング」に仕上がっている。氷室さんの歌詞はけっこう主観的なモノが多いから、ちりばめてる要素は主観なんだけど、全体としては(特に前半)客観なんですよ。だからある意味では、この歌詞の言葉を追うだけじゃ意味って理解しにくいような気がする。もちろん、言わんとしてる事はわりと単純なので世界観は充分伝わるんですけど。
まあ実際、この曲の前段階の歌詞の数種類を、響き良い歌詞だけ選りすぐってきて並べ替えたとか、そういう印象がないこともないわけですけどね(笑)。
あたしね、学校で食物栄養を専攻してたんですけど、その学んでる中で一番厳しいってされてる先生が言ったんですよ(あたしはその先生好きなんですけど)
。「生きてるだけじゃダメなんです」って(笑)。おお、と。
『OH! MY JULLY Part1』
古いライブ音源とか聞いたりすると、よくライブで歌ってるような気がする。単純に聴き心地が良くてとっても好きな歌です。『OH! MY JULLY Part2』との、曲調の落差はなんだというような、そんな印象のある歌ですよね。この辺が完全に布袋さんと氷室さんの違いっていうか、なんで同じタイトルなのかはわかんないですけど、歌詞の内容的には、あんまり大差ないんですよね。同じような事を歌ってる。
このアルバムの中で言えば、明るい陽の当たる場所で拳を振り上げるようなある種の健全さと、夜のネオンの街を、肩を落として足を引きずって歩いている不健全さが、一緒くたになって入ってる印象がある。もちろん(笑)、健全さは布袋さん担当で不健全さは氷室さん担当なんですけど。で、歌詞はほとんど氷室さんだから全部不健全なワケで。その辺のバランス的に、布袋さんの健全な曲に、氷室さんの不健全な歌詞が乗っかってる。それで出来上がるのがこういう曲なんですよね。なんかすごく後ろ向きなんだけど変に明るくて、カラッと突き抜けた歌。
特にこのアルバムの中に入ってる布袋さんの曲は、その曲調が「白っぽい」曲が多いんですよね(私的に)。氷室さんの曲は、もっとずっと「透明な青の濃度を黒に近くなるまで濃くした」曲が多い。そのせいか、イントロ部分だけでも「あ、これは布袋さんの曲だ、氷室さんの曲だ」てすぐ解ったりして(笑)。まあ、それはどうでもいいんだけど。
内容としては行きつ戻りつ、なんだかんだと煮え切らなくて、だけどその殻を破り捨てたくてもがいてるような歌詞を、布袋さんのミョーに明るい曲調に乗せている。そのアンバランスさが、このアルバムのすごい顕著な特徴っていうか、他のアルバムじゃあこれ程、歌詞がウジウジしてない(笑)。でもそれは、明かにこの時期のBOΦWYの良さだよねえ、と思ったりもしています。
このアルバムの歌詞のような恋愛観がベースになって、だから後の『ONLY YOU』とかがあるんじゃないかなあ、と。そっちだけ聴いたら、言葉は悪いかもしれないけれど「ただのラブソング」と言われても、何にも言えないじゃないですか。「守ってあげたい」とか「幸せにしたい」とか、有象無象の世間一般のラブソングと、どこが違うのかと言われたら、その歌詞だけ見たら同じわけですよ、流行歌的な優等生なラブソング。
でもその根本として、この曲みたいな弱さとかそれを振り切ろうとする思いとか、そういうモノがあると思えば『ONLY YOU』みたいな曲が、万が一適当に書いたような歌詞だったとしても(実際どうかは知らないけれど)、深みが出てくるんじゃないかなあ、と私は思う。
まあ、ラブソング自体が世間一般で出尽くされていると言えば、それはそうなんですけどね。
「もっとなめてよ MY JULLY」て歌詞は、なんだか氷室さんがニヤリして書いて歌ってそうな気がしてしょうがない。「書いてやった!」みたいな(笑)。そして、「おっおっおおお、おっおっおおお」てコーラスは、やっぱり布袋さんちっくだなあ、と思ってしまう(笑)。
『TEENAGE EMOTION』
この曲と『LONDON GAME』は、二個一(2つで1つ)的なイメージです。だってライブだと二曲続けて演奏されるもんね、よく。
歌詞が深沢さんだったので「なるほど」と思ったです。深沢さんて、ほんと3曲くらいしかCDになってるものでは歌詞書いてないのに、そのうち2曲はかなりBOΦWYで歌われてるよね。『NO.N.Y.』しかりこの曲しかり。でも、言われてみればこの曲もどっか即物的で(笑)、少なくとも氷室さんぽくはない歌詞だなあ、と。気持ちとしてそこに共感はするんだろうけど、良いなとか思うんだろうけど、氷室さんがするタイプの表現方法ではないよね。言葉の連ね方とか。
どこが、とか言われたら上手くは言えないし、氷室さんが書いた歌詞なんだよ、とか例えば言われたら「そうなんだ」て言っちゃうのかもしれないけど、どっか毛色が違うというか。そういう感じ。
具体的には「どこかの誰かが俺たちに呼びかけている」とか、歌詞との距離の取り方とか、そういうトコロかな?
「Old time is past, new time is come
all right get set on your mark
it's no too late becouse we are young
becouse we are young」
の部分にしても、ほんとなんとなくなんだけど氷室さん的ではないような。
ちょっと自分なりに訳してみたりして。
(あたし英語苦手なんで間違ってる可能性も大きいですけど)
「過去は過ぎ去って、新しい時はもう目の前だ。
さあ、おまえだって準備はできてるはずさ。
(とっくに準備が出来てることはわかってるよ)
遅すぎる事なんてない。
なぜなら俺たちは若いから。だって、俺たち若いから」
しいて言うならば、氷室さんの歌詞て押しつけないのね。押しつける、というと言葉が違うかもしれない。言い換えるなら「伝えようとする意思が弱い」かな(笑)? 多分、歌詞を書く書き手としての氷室さんに明確なイメージはあるんだと思う。だけどそれをこちら側(受け手)にキチッとした手順を踏んで、少しでも正確に伝えようという意思が全然感じない。自分の中にある1つのイメージから、主観と直感で選んだ言葉をランダムにつなぎ合わせて作ったような、そんな感じがする。
だから他人に対して向けて書いた歌詞って少ないと思うんだよね。悪い言い方すれば自己完結が甚だしい。常に「for me」(笑)。でも、あたしはそこが氷室さんの歌詞の大好きな部分でもあって、だからなんだけど、氷室さんの歌詞の世界には終わりがないんですよ。
だって、氷室さんの中にある世界にはきっと端っこがあるんだろうけど、そんな始まりとか終わりを全く伝えてはくれないから、結局伝わってくるモノに関してはすごく世界の一部をぶつ切りにしたような、そんな断片的なモノでしかない。そっからね、氷室さんの中にある物語や世界観を理解しろ言われてもですね、ハッキリ言って絶対にムリ! その他大勢の遠い場所にいて性別も世代も全く違うあたしなんかには、とてもそんなのわかりっこないってもんです。喜劇なのか悲劇なのかもわかりゃしない(笑)。
それでなくても氷室さんの選ぶ言葉は抽象的すぎて、そのくせ自分の目の前の物をそのまま言葉にしたような、そういういい加減さとちぐはぐなリアルさがあったりするし。だけど、だからこそ想像するに尽きないんですよね。与えられた言葉からいろんな可能性を考慮していく。そしたら想像の幅が自分でも驚くくらいに広がってたりして。1曲の歌からいくつもの物語が作れそう、みたいな感じ。普通は、1曲の歌から受け手が想像する物語ってだいたい同じですよね? で、この曲はというと、もっとずっと具体的で、伝えようとする世界観も解りやすい。世間を皮肉ってはいるけれど、そこに独特の「ニヤリ」という部分は込められていない。
もちろんこの曲は大好きで、高校生の時なんかはあの英語部分をノートの端っこに書いてみるような、そんなバカげた子供だったですよ! まさに『TEENAGE EMOTION』。
『LONDON GAME』
『TEENAGE EMOTION』の歌詞が深沢さんなら、この曲はいかにも氷室さんチックだなあ、と思わずにいられない(笑)。全然、歌詞の意味わかんないし。だいたい「LONDON GAME」て何? と。どんなゲームなのさ、と(笑)。「意味はない」ゲーム?? なのに、伝わる部分があるから妙なんだよねえ。やっぱりそこが氷室さん歌詞の魅力だと思ってしまうんだけど。
「ただの流行よ LONDON LONDON LONDON GAME
ボクもアタイも LONDON LONDON LONDON GAME 」
「意味はないのよ LONDON LONDON LONDON GAME
回り気にして LONDON LONDON LONDON GAME 」
あたりの皮肉った部分なんかはすごく氷室さんぽい表現だと思う。そして何よりも、
「みんなそろって LONDON LONDON LONDON GAME
一人じゃダメネ LONDON LONDON LONDON GAME
仲間いなけりゃ DOKI DOKI
仲間さがせば NIKO NIKO
急に強気で ORA ORA 」
ていう部分が好きだな、あたし(笑)。歌の内容としては『TEENAGE EMOTION』と近いんだと思うんだよね。でも、氷室さんが書くとこうなった、みたいな(笑)。そんな感じがする。
この歌を歌う時の何とも言えない、氷室さんの妙に楽しんでる様子みたいなのが思い浮かぶ。実際『CASE OF BOΦWY』でも、この曲歌う時にすごい楽しそうだった記憶が・・・。
「仲間いなけりゃ DOKI DOKI
仲間さがせば NIKO NIKO
急に強気で ORA ORA 」
の時くらいに、すごい自慢顔で肩をいからせてステージ上を歩く。そういう仕草とかがすごいあたし好きなんですけれど(笑)。
昔はね、『TEENAGE EMOTION』の方が僅差で好きだった気がする。でも最近は『LONDON GAME』のバカっぽさみたいなのがすごく楽しくて、気づけば断然こっちのが好きだなと思うようになってました。
『SYMPHONIC』
このアルバムの中で、唯一シングルカットされてない曲だそうです。
もう、ヤバイくらいに氷室さんソングて印象がある。あたしは正直、このラインの氷室さんソングはちょっと苦手。本当は全部好きでいたいと思ってるし、実際苦手と言ってもキライなワケじゃないんだけれど。この手の曲って、ソロになってからのアルバムでもチョコチョコと挟まれてると思うんですよ。『FUNNY BOY』がね、このラインのギリギリなんです、あたし的には。どうも、手放しに「好き!」って言えない曲なんだなあ。
あの挟まれてるガラスの割れる音とか、感覚を狭めて覆い被せる音の感じとか、変に駆り立てられるんですよね、こう胸の中が。焦ったり、イライラしたり、そういう居心地悪さがあって、それがイマイチ心地良くない。
まあ、何もかもを好きになるなんてどこか不自然だし、そういう部分があるのも仕方ない事でしょうけど。
『THIS MOMENT』
布袋さんの暗い曲は、音と音の感覚が不安定にユルくなる印象。暗い曲っていうか、内面を瞬間さらけ出したようなそんなイメージ。布袋さんのイメージて、やっぱりどっか明るいというか、創り出す曲にしても、スコーンと突き抜けた感じのするものが多い。とてもバリエーションの多い曲作りをする人だなあ、とは思うけど、曲調の種類としてはいくつかの王道パターンがあるような。その内の、布袋さんのミディアムバラード(ていうくくりになるの?)なのかな。『B・E・L・I・E・V・E』とかもそうだよね。
氷室さんの曲のようにイメージにノイズがかかってないというか、布袋さんの曲はもっと小さくキラキラ光るモノがちりばめられてる感じ。もっとずっと透明さがある気がする。
例えば氷室さんの内面的な、ダークサイドをさらけ出す曲があったとしたら、それはどこか普段の他の曲や歌詞の中にもある程度含まれてた部分で、たまたまそこだけ切り取ってみましたとか、そういう感じ。良い意味でも悪い意味でも、それは予想の範疇なんですよ(普段からある程度小出しで見てるから)。きっと、そういうダークな内面を持ってる人なんだろうな、って。だけど布袋さんの曲は、いちいち世界を完結させて表現するようなトコロが伺えて、だから明るい曲と、暗い曲の間には架け橋になるような部分がない。1曲1曲が、完全に独立している。
で、じゃあ内面のダークな部分を表現するとなった時に、これまた氷室さん的にノイズかかったままはき出すような事が、性格的に出来ない人なのかなあ、と。自分そのままを「べちゃあ」と塗りたくれない。それが出来るという事はある種の強さであるし、信頼でもあると思うんですけどね。ムダな事はそぎ落として、少しでも触れ心地の良いものを作ろうとする、そういう意思が感じられる曲だなあ、と思います。暗いけどね(笑)。
氷室さんがアイロニカルなリアリストだとしたら、
布袋さんはもっとずっとロマンティストなのかなあ、と思います。
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